大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和49年(う)831号 判決

本籍

神戸市灘区篠原南町四丁目一二番地

住居

大阪市北区兎我野町九六番地 泉州ビル一三号室

会社役員

西川芳夫

大正一二年五月二〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四九年五月七日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申し立てがあったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 武並正也 出席

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一、二〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人田辺光夫、同大槻龍馬連名作成の控訴趣意書および控訴趣意補充書記載のとおりであり、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事武並正也作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点の一について。

論旨は、要するに、原判決は、弁護人の「検察官は、被告人が昭和四一年中に販売した牧野および向日町の土地につき不当な評価増を行い、その売買益を三、九四九万三、五八八円も不当に減少させたと主張するが、これらの土地はすべて借入金により購入造成等したものであり、たな卸資産の取得のために要した借入金の利息はたな卸資産の取得価額に算入するのが原則であるから、被告人はこの原則に従い右土地の購入造成等のための借入金の利息を評価増の形で右土地の原価に算入していたものであって、昭和三九年および同四〇年当時の借入金の平均利率によって計算すると、右土地の購入造成等のための借入金の利息は二、二八六万三、五一一円となるから、右土地の過大な評価増は一、六六三万〇、〇七七円に過ぎない。」との主張に対し、被告人が本件当時真実借入金利息を損金とせず原価に算入する取り扱いをしていたのであれば、これを否定すべき理由はないけれども、被告人がした土地の評価増は、要するに、将来の利益を減殺するとともに年間所得を五〇〇万円程度に計上するという目的で、架空の支払利息等との関係から所得計算上の操作としてなされたものと考えるのが相当である、として右主張を排斥したが、被告人が借入金の利息を正確に算出してこれをそのまま土地の原価に算入する取り扱いをせず、借入金利息を考慮しての土地の評価増(実質は原価算入)を行ったからといって、直ちにこれを全面的に否定したのは、原価に関する法令の解釈を誤り、事実を誤認したものであり、右土地の過大な評価額は、一、六五七万二、七二六円(控訴審において原審における主張額を訂正)に過ぎない。かりにそうでないとしても、被告人は該部分につき逋脱の犯意を欠くものであり、この点原判決は事実を誤認したものである、というのである。

しかしながら、原判決における借入金利息の原価算入に関する見解ならびに被告人の行った土地の評価増に関する事実の認定は、いずれも首肯しうるものであり、この点に関し原判決には原価に関する法令の解釈を誤り、事実を誤認した違法は存在しない。すなわち、所得税法上たな卸資産の取得価額については同法施行令一〇三条に規定があるが、借入金利息を原価に算入すべきかどうかについては直接の規定がなく、解釈に委ねられているところ、法人税法二二条四項にかんがみ「(一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」に従うべきものと解するのが相当である。つまり、当該企業が合理的な方法で借入金利息を原価に算入する会計処理を実際に行っている場合には、税法上もこれを容認すべきであり、原判決の見解も右と同様であると考えられる。しかるに、これを本件についてみると、昭和三九年ないし同四一年度の不動産部門の各元帳(当庁昭和四九年押三三〇号の一八の二、二〇、二一)によると、被告人は、昭和三九年三月五日付で萱島の土地から牧野の土地へ評価益二、〇〇〇万円を振替計上し、同年一二月二九日付で牧野の土地につきさらに六、五〇〇万円の評価益を計上し、翌四〇年一二月二九日付で同土地につきさらに一億〇、九三〇万円の評価益を追加計上し、翌四一年一二月二九日付で同土地につき三、〇〇〇万円の評価減をしてこれを高柳の土地に振替計上するとともに、右の昭和四〇年一二月二九日付の評価益計上額一億〇、九三〇万円を五、四三〇万円に減額訂正し、さらに向日町の土地につき一、〇〇〇万円の評価益を追加計上し(結局、牧野の土地については昭和四一年末までに一億〇、九三〇万円の評価益を計上したことになる。)、その他、昭和四一年一二月二九日付で新たに春日、朝日ケ丘、野崎飛地および高柳の土地につき別途評価替として九、三〇〇万円の評価益を計上したことが認められ、借入金利息の原価算入を行った形跡はまったく認められない。事実借入金利息の原価算入をする意図で評価益を計上したのであれば、一定の土地につき利息相当額を一貫して計上する筈であり、右のように一部の土地についてのみ評価益を計上し、しかも、これを別の土地に振り替える等の会計処理をする筈がなく、また、前記昭和四一年度元帳等関係証拠によると、同年分修正損益計算書に支払利息の公表金額として記載されているとおり、同年分の借入金利息は全額支払利息として経費に計上されていることが認められるのであって(なお、昭和三九年分および同四〇年分の借入金利息についても、右四一年分の借入金利息に関する事実および前記昭和三九年度および同四〇年度の各元帳の支払利息勘定の記載から昭和四一年分と同様全額支払利息として経費に計上されていたものと推測される)、これらの点に、被告人の検察官に対する昭和四三年七月五日付供述調書(記録三、一七五丁以下の分、一二項)および水野隆晴の検察官に対する同月一八日付供述調書(当審で取り調べた分)を併せ考えると、被告人の行った土地評価増は、原判決も説示するとおり、要するに、架空支払利息を計上して資金を公表外に落としていたこと等との関係から、将来の利益を減殺するとともに、年間所得を五〇〇万円程度は計上するという目的で、所得計算上の操作としてなされたものと認めざるを得ない。したがって、被告人が借入金利息を原価に算入する会計処理をしていたとはとうていいえず、右の土地評価増が全部否認されるのもやむをえないことといわなければならない。なお、この点に関する逋脱の犯意についても、右土地評価増の帳簿上の操作は、すべて被告人の指示に基づき経理担当の水野隆晴が実行したものであることが証拠上明らかであるから、被告人が右の犯意を欠くいわれはないというべきである。その他、所論にかんがみ調査してみても、原判決の関係部分には、原価に関する法令の解釈を誤り、事実を誤認した違法はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第一点の二について、

論旨は、要するに、原判決は、手形割引収入につき、株式会社三洋ハウス研究所、永和水機株式会社および安藤水道関係分以外は推定計算によって認定しており、弁護人が検察官の主張額四一八万四、三一六円より一五〇万円減額することを主張したのに対し、五〇万円余を減額したにとどまったが、その推計の資料として証人水野隆晴および被告人の各供述を排斥し、証人太田忠義の供述を採用するなど、証拠の取捨選択を誤り、その結果、右収入額の認定を誤ったものである、というにあるものと解される。

よって検討するに、この点につき原判決は、証人三浦徳太郎、同太田忠義の各供述等を総合すると、まず、割引日につき、割り引かれた手形全体のうち振出日あるいはその二、三日後までに割り引かれたものが七〇パーセントないし九〇パーセントあり、その他の三〇パーセントないし一〇パーセントは振出日の一週間ないし一〇日後、最も遅くても一箇月後に割り引かれていたこと、また、割引日数につき、振出日あるいはその二、三日後に割り引かれた場合でも、その割引日数は必ずしも実日数と一致せず、例えば、支払期間四箇月の手形では一二〇日、三箇月と一〇日の手形では一〇〇日を超えることがなかったことが窺われ、さらに、三洋ハウス関係、永和水機関係あるいは昭和四〇年の昭津起毛関係等の場合を検討してみると、振出日に割り引く場合でも、割引日と満期の両日を算入する場合と、その一方のみを算入する場合とがあったことが認められるので、これらの点を考慮し、被告人に有利で合理的な方法により推計するとし、割引日数につき割引日または満期の一方のみを算入し、一箇月を三〇日としたうえ、すべての手形が振出日の三日後に割り引かれたものとした場合の割引料合計三三五万〇、九五四円と、すべての手形が振出日の一箇月後に割り引かれたものとした場合の割引料合計二三四万六、二三四円とを七割対三割の割合で合算し、これに実額計算により得た三洋ハウス研究所外二箇所の割引料合計六二万九、九六四円を加えた三六七万九、五〇二円を昭和四一年分の手形割引収入と認定したものであるところ、右の割引日および割引日数に関する前提事実の認定ならびに同事実からの割引収入の推計の方法には格別不合理な点は見受けられず、かつ、右推計の方法は被告人に可及的に有利なものということができる。所論の攻撃する原審証人太田忠義の供述は、その内容に照らし、原審証人三浦徳太郎の供述等関係証拠と共に前記の割引日および割引日数に関する前提事実の認定資料として採用してもなんら不合理とはいえないものである。これに対し、原審証人水野隆晴の供述中原判決が排斥した部分は、「割引業務を担当していた自分の感じでは、昭和四一年中の割引収入は二〇〇万円から三〇〇万円ぐらいだったと思う。検察官の主張額より一〇〇万円から二〇〇万円ぐらい、少なくとも一〇〇万円は少ないと思う。」というものであり、被告人の原審公判廷における供述中原判決が排斥した部分は、「平均すると支払期間の三分の一ぐらい経過した時点で割引いたことになるかと思う。昭和四一年中の割引収入は、感じとしては検察官の主張額より一五〇万円ぐらい少ないと思う。」というものであって、右各供述内容および他の関係証拠に徴すると、原判決が右各供述を具体性に欠け、誇張に過ぎ、措信できないと断じたのは、まことにもっともなことと考えられる。なお、所論は、株式会社三洋ハウス研究所から割引依頼のあった手形は、被告人が支払手形として振り出したものではない点において他の分とまったく異なっているから、原判決がこれを割引日数の推計の根拠として用いたのは誤りであるというが、前記のとおり、原判決は、右三洋ハウス関係分(かつらぎ開発振出)を永和水機関係分および昭和四〇年の昭津起毛関係分等(いずれも被告人振出)と共に割引日数の推計の資料としたものであり、しかも、それらによって割引日または満期の一方のみを割引日数に算入するという被告人にとって有利な推計方法を採用するに至ったものであるうえ、本件においては、割引日数に割引日と満期の両日を算入するか、その一方のみを算入するかは、自己振出の手形を割り引く場合とそれ以外の手形を割り引く場合とで格別差異はないと考えられるので、所論は理由がない。その余の所論は、いずれも原審における検察官の冒頭陳述を非難するものであって、主張自体失当というべきである。

もっとも、昭和四二年一月分振替伝票(前同号の一の一)によると、三徳工務店に対する支払手形のうち、金額一〇万円、振出日昭和四一年一二月九日、満期同四二年四月九日の分と、金額七〇万円、振出日同四一年一二月二三日、満期同四二年四月二三日の分の二通は、昭和四二年に至って割り引かれたことが認められるから、原判決の認定した手形割引収入額から右各手形が振出日の三日後に割引かれたとした場合の昭和四一年分に帰属すべき割引料収入三、二二〇円の七割である二、二五四円を減額しなければならない。また、三洋ハウス研究所の割引依頼にかかる振出人かつらぎ開発、金額六二万円、振出日昭和四一年一〇月二九日、満期同四二年二月一〇日の手形については、原判決は右振出日に割り引かれたと認定したものとみられるが、昭和四一年一〇月および一一月分元帳(前同号の三八の一)および振替伝票(前同号の四三の一)によると、該手形は昭和四一年一一月九日に割り引かれたことが認められるから、その日数差に相当する割引料の差額八、八六六円もまた原判決認定の手形割引収入額から減額しなければならない。

控訴趣意第一点の三について、

論旨は、要するに、原判決は、本店の営業経費につき、昭和四一年一一月分、同四二年一月ないし五月分の本店関係月次決算報告書によると、昭和四二年三月分の営業経費が他の月に比し異常に多くなっているが、それは、被告人が従業員に対し三月、六月、九月、一二月の年四回の賞与月に裏賞与を支給していたためでもあることが窺われ、資料の存しない他の賞与月においても、裏賞与等非賞与月に比し相当多額の支出があった疑いがあるので、賞与月に共通する非賞与月より多い営業経費を一〇〇万円と認め、年間の営業経費を一、六〇〇万円と推認するとしたが、右の昭和四二年三月分の営業経費のうち他の月より多い分はすべて裏賞与等賞与月に共通のものであるから、同月を組み入れた同年一月ないし三月と三月ないし五月分の各一箇月平均の営業経費約一五〇万円をもって昭和四一年分の平均月間営業経費と推認すべく、したがって、同年分の年間営業経費は一、八〇〇万円と認定すべきである、原判決は右の昭和四二年三月分の営業経費中にはボーリング場関係交際費等同月に特殊のものが含まれているとし、その理由として被告人の捜査段階における供述を挙げているが、ボーリング場関係交際費は公表帳簿分から支出しており、右月次決算報告書の分からはまったく支出していない、もし原判決のいうように右月次決算報告書の分から支出したとすれば、同報告書において、ボーリング場関係の事業を始めた昭和四二年一月以降の非賞与月である同年一月、二月、四月、五月の各営業経費が、いまだボーリング場関係の事業を始めていなかった昭和四一年中の非賞与月である同年一一月の営業経費よりいずれも少額であることを合理的に説明することができない、さらに、原判決は弁護人の主張する不動産金融の仲介料五〇万円、不動産金融の物件調査のための旅費等の経費一二〇万円、簿外交際費三六〇万円、合計五三〇万円の営業経費を否認したが、該経費は被告人の原審公判廷における供述および原審証人水野隆晴の供述により肯認しうるものであり、以上の点で原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある、というのである。

よって、所論にかんがみ関係各証拠を精査して検討するに、押収してある昭和四一年一一月および同四二年一月ないし五月分の各振替伝票(前同号の四三の一、一の一、二の一、三の一、四の一、五の三)および昭和四二年一月ないし五月分の各元帳(前同号の六の三、七の三、八の四、九の四、一〇の三)ならびに被告人の検察官に対する昭和四三年七月五日付(記録三、一七五丁以下の分、一四項)、同月七日付(記録三、二五三丁以下の分)、同月一二日付(記録三、三四九丁以下の分、四項)、同月一四日付(一項)各供述調書によると、昭和四一年一一月および同四二年一月ないし五月分の本店の営業経費(簿外経費)は、もれなく、ありのまま右振替伝票および元帳(いずれも裏帳簿)に記載されており、その主要費目別明細は別紙(一)の明細表のとおりであることが認められる。右明細によると、昭和四二年三月に従業員に対して支給された簿外賞与はせいぜい一七万四、〇〇〇円程度に過ぎず、同月分の経費が他の月に比し異常に多くなっているのは、簿外賞与の支給に原因があるわけではなく、社長経費・交際費や市県民税等の支出によるものであることが認められる。押収してある給与関係書類(前同号の一四)を精査しても、右の程度以上に簿外賞与が支給された形跡は認められない。さらに、同月分の元帳(前同号の八の四)によると、同月一日社長経費として六〇万円が、同月八日社長交際費として七七万円がそれぞれ支出されていることが認められ、これが同月分の経費が他の月より異常に多いことの主たる原因となっていると考えられるのであるが、その金額および支出時期ならびに被告人の検察官に対する昭和四三年七月一二日付供述調書(記録三、三四九丁以下の分、三項)の記載内容に徴すると、右の支出は、それがボーリング場関係の交際費であるかどうかはともかくとしても、なんらかの特殊な支出であり、賞与月、非賞与月の別を問わず、他の月に共通な支出ではないと推認すべきものと考えられる。したがって、右三月分の経費額をそのまま他の賞与月の経費額ないし年間経費額の推計資料とするのは相当でない。そして、右三月分の経費額から右の一三七万円および市県民税、確定申告税額(稲田収二名義の分の一部と考えられる。)を差し引いた額と昭和四一年一一月および同四二年一月の各経費額とによって年間経費額を推計すると、別紙(二)のとおりとなり(片山保人に対する歩合給支給額は、被告人の検察官に対する昭和四三年八月一三日付供述調書によりその年間実績が認められるので、それによる。)多く見ても一、二〇〇万円を超えることはないと認められる。原審および当審の証人水野隆晴の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。次に、不動産金融の仲介料、同金融の物件調査のための旅費等の経費および簿外交際費については、被告人の原審公判廷における供述も、結局は、右のような費目の支出が若干あり、その中には一部記帳されなかった分もあるというに過ぎず、他に右支出を直接認定しうる証拠はない。そして、被告人の検察官に対する昭和四三年七月五日付(記録三、一七五丁以下の分、一四項)、同月七日付(記録三、二五三丁以下の分)、同月一二日付(記録三、三四九丁以下の分、四項)、同月一四日付(一項)各供述調書ならびに水野隆晴の検察官に対する同月三日付供述調書によると、本店の営業経費等すべての簿外経費は、もれなく、ありのまま本店部門の振替伝票および元帳に記載されていたこと、右本店部門の勘定はいっさい裏勘定とし、その帳簿はすべて裏帳簿としていたから、それ以外にさらに裏の裏ともいうべき勘定をもうける必要はなかったことが認められ、かつ、公表帳簿たる不動産部門の昭和四一年度元帳(前同号の一八の二)によると、同部門においても毎月相当額の使途不明の社長交際費が支出されていることが認められる。したがって、前記の被告人の原審公判廷における供述中、弁護人主張のような費目の支出で記帳されなかった分があるという部分は措信し難い。(ちなみに、本店部門および不動産部門の帳簿には、被告人の医療費やクリーニング代の類の支出に至るまで記帳されている。)してみると、かりに弁護人主張のような費目の支出があったとしても、それは、前記のとおり本店部門の振替伝票および元帳の残存分によって推計した営業経費ないしは前記不動産部門の元帳によって認められる営業経費の中に含まれているものというべく、右各営業経費の外に弁護人主張のような費目の支出があったことは否定せざるをえない。結局、昭和四一年分の本店営業経費は一、二〇〇万円と認定するのが相当であり、原判決はこれを四〇〇万円過大に認定したものというべきである。

控訴趣意第一点の四について、

論旨は、要するに、原判決は、必要経費のうち被告人が納付義務を負う昭和四一年度固定資産税の合計額は二五万四、一七〇円であると勘定したが、真実は二六万七、七二〇円であり、これから検察官が損金と認めた既納付分七、四四〇円を差引くと二六万〇、二八〇円となるのであって、この点原判決は事実を誤認したものである、というのである。

よって調査するに、関係市町村等からの固定資産税に関する照会回答書によると、被告人が納付義務を負う昭和四一年度固定資産税の合計額は所論のとおり二六万七、七二〇円であることが認められるから(原判決は、松山市一番町一丁目九の一五の宅地につき同市に対し協和不動産株式会社名義で納付すべき一万三、五五〇円が、不納欠損とされているので、これを除外したものと思われるが、松山市長作成の「捜査関係事項照会について(回答)」と題する書面によると、右が不納欠損とされたのは昭和四三年三月三〇日であることが認められるので、右は昭和四一年分の必要経費に含まれるものと考えられる。)これから検察官が不動産所得の計算上必要経費とした七、四四〇円(記録一〇一丁および一三〇丁参照)ならびに事業所得の計算上必要経費とした四、三七〇円(記録六〇丁および一一五丁参照)を差引いた二五万五、九一〇円が必要経費として控除さるべく、したがって、原判決の額(二五万四、一七〇円より七、四四〇円を差し引いた二四万六、七三〇円)より九、一八〇円だけ控除額が多くなるわけである。

控訴趣意第一点の五について、

論旨は、要するに、原判決は、河内長野市所在の豚舎およびその設備について昭和四一年分の減価償却を行うに当たり、その償却前評価額を四〇〇万円と認定し、減価償却費を二三万七、六〇〇円と算定したが、右償却前評価額は二、一五五万円と認定すべきであり、減価償却費は一三五万二、〇〇〇円と算定すべきであるから、原判決はこの点事実を誤認したものである、というのである。

よって調査するに、右豚舎およびその設備の減価償却前評価額につき、弁護人が二、一五五万円と主張する直接の根拠は、脇田俊幸作成の日商養豚場豚房飼料処理場宿舎新築および設備工事各見積調書の記載にあるが、同見積調書および豚舎設計復元図二通ならびに右脇田の原審における証言によると、右見積調書は、右脇田が昭和四七年五月頃水野隆晴から豚舎等の図面を渡され、これと水野の説明とによって復元図を作成し、それに基づいて見積りをして作成したものであることが認められるところ、右脇田の証言および当審において取り調べた豚舎等の図面四通によって明らかなとおり、水野が脇田に渡した該図面はスケッチ程度の簡単なものであるうえ、同図面がいつ何のために誰によって作成されたかについては遂になんらの立証もされなかったこと、水野の原審および当審における証言によっても窺われるように、同人は養豚場関係の経理には関与していたが、豚舎等の工事や現場の業務には直接関与していたわけではないから、同人が脇田に対し豚舎等の構造や材料についてどの程度正確に説明しえたかはなはだ疑わしいこと等の諸点に徴すると、右見積調書の証拠価値は決して高いとはいえず、後記のとおり他にこの点に関する有力な証拠が存する以上、この見積調書を採用しなくてもなんら不合理とはいえない。また、豚舎等の工事費が二、〇〇〇万円ぐらいであったという原審における証人水野隆晴や被告人の供述および当審における証人中川金次の供述も、格別資料に基づくものではなく、後掲証拠に照らし措信できない。

ところで、押収してある前同号の一五の三の手帳には、「((固))豚舎(昭和四〇年)四月二二日前畠から中川へ七三万五、九四八円」なる記載および以後同年中豚舎につき種々の工事をしその代金を支出した旨の記載があり、前同号の一五の五の手帳には、「豚舎勘定四〇年一二月二九日現在二九四万四、六三五円」なる記載および昭和四一年一月六日防寒設備として二五万円を支出した旨の記載があり、さらに、昭和四一年一一月末、同四二年一月末、二月末、三月末、四月末、五月末の各決算報告書(前同号の四〇、一一、一二の六、一三の三、一三の二)の本店部門固定資産勘定には、「河内長野豚舎」として、右の順に「三一四万六、九二九円」「三〇七万九、一七三円」「三〇二万四、三九一円」「二九六万〇、八七〇円」「二九〇万七、〇八六円」「二八八万五、八八六円」なる記載があり、これらを右各手帳の養豚関係の他の記載部分ならびに昭和四一年一一月および同四二年一月ないし五月の各元帳(前同号の三八の一、六の四、七の四、八の三、九の三、一〇の四)の関係部分と併せ考えると、右各金額は豚舎およびその設備の各時点における評価額を意味し、昭和四一年一一月末以降の金額の差は被告人が独自の方法でなした減価償却によって生じたものと推認され、また、右各決算報告書および元帳の仮払金勘定をみると、そのいずれにも「中川、豚舎固定設備」あるいは「中川、河内長野豚舎に関し」として「一〇三万六、九九八円」なる記載があり、右は仮払金として支出されているが、その計上期間等に徴し、工事完了後もなんらかの理由により固定資産勘定への振り替えがなされなかった疑いがあるので、減価償却に関しては豚舎等の取得価額に算入するのが相当であると思料されるところ、以上の諸点を勘案すると、右豚舎等の昭和四一年分減価償却前の評価額は五〇〇万円と認定するのが相当である。そこで、原判決と同じく定額法により耐用年数を一五年として計算すると、減価償却費は二九万七、〇〇〇円となり、原判決の認定したそれを五万九、四〇〇円上廻ることとなる。

以上の次第により、原判決には、手形割引収入を一一、一二〇円過大に、本店の営業経費を四〇〇万円過大に、必要経費として控除すべき固定資産税を九、一八〇円過少に、減価償却費を五九、四〇〇円過少に認定した点において、それぞれ事実の誤認があり、そのため所得金額において三九二万〇、三〇〇円、所得税額において二七四万四、〇〇〇円、認定額に差異が生ずるので、右各誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるというべく、原判決はこれらの点において破棄を免れない。

よって、その余の控訴趣意(量刑不当の主張)に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

原判示の罪となるべき事実のうち、昭和四一年分の所得金額につき四、七七一万〇、三六七円とあるのを五、一六三万〇、六六七円と、同所得税額につき二、六八三万七、二〇〇円とあるのを二、九五八万一、二〇〇円と、秘匿した所得金額につき四、一六三万一、五八一円とあるのを四、五五五万一、八八一円と、逋脱した所得税額につき二、五二七万四、一〇〇円とあるのを二、八〇一万八、一〇〇円と各訂正するほかは、同事実のとおりであるから、これを引用する。(なお、犯則所得および税額の計算は別紙(三)および(四)のとおりである。)

(証拠の標目)

原判示の証拠の標目中「被告人の当公判廷における供述」とあるのを「原審第二五回ないし第二七回各公判調書中被告人の供述記載部分」と、「証人河上他代の当公判廷における供述」とあるのを「原審第二三回公判調書中証人河上他代の供述記載部分」と、「昭和四五年押第四五七号」とあるのを「当庁昭和四九年押三三〇号」と各訂正し、各公判調書の冒頭に原審と附記し、当審において取り調べた水野隆晴の検察官に対する供述調書一通および豚舎等の図面四通を附加するほかは、原判示の証拠の標目と同じであるから、これを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示所為は所得税法二三八条一項に該当するところ、右犯行は手口が巧妙で計画的であり、逋脱税額も比較的多く、逋脱率も高いことに徴すると、被告人の刑責は軽いとはいえないが、他面、本件においては、不動産部門(宅地造成分譲等)における年々の損益が著しく不均衡であったところへ、青色申告をしていなかったためいわゆる純損失の繰越控除の特典が与えられなかったことが、犯行の一因となったものとみられること、被告人は、本件犯行後昭和四一年分所得税につき本件逋脱税額をこえる更正差額および過少申告加算税、重加算税をすべて納付し、その後毎年事故なく税の申告および納付を済ませていること、被告人は本件犯行後不動産部門を株式会社組織にし、その代表取締役となっているが、被告人が懲役刑に処せられると、同会社の宅地建物取引業の免許が取り消され、同会社の経営が困難となること、犯行時からすでに一〇年有余の歳月が経過していること等の諸点を勘案すると、被告人に対してはこの際罰金刑のみを科するのが相当であると考えられるので、所定刑中罰金刑を選択し、同条二項を適用して本件逋脱税額に相当する金額の範囲内で被告人を罰金一、二〇〇万円に処することとし、換刑処分につき刑法一八条を、原審における訴訟費用の負担につき刑訴法一八一条一項本文を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 角敬 裁判官 青木暢茂)

別紙(一)

本店営業経費明細表

〈省略〉

別紙(二)

41年分本店営業経費の推定計算表

〈省略〉

別紙(三)

犯則所得および税額計算書

〈省略〉

(注)申告欄には西川、稲田両名義の申告額の合計額を記載した。

別紙(四)

所得内訳の説明

〈省略〉

昭和四九年(う)第八三一号

控訴趣意書

所得税法違反 西川芳夫

右の者に対する頭書被告事件につき、昭和四九年五月七日、大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、控訴を申し立てた理由は左記のとおりである。

昭和四九年七月二六日

弁護人弁護士 田辺光夫

同 大槻龍馬

大阪高等裁判所第二刑事部 御中

第一点、原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある。

一、商品売買益について

原判決は商品売買益について

弁護人は、たな卸資産の取得のために要した借入金の利子はたな卸資産の取得価格に算入するのが原則であり、被告人はこの原則に従って土地購入の際の借入金の利息等を土地原価に算入して評価増を行っていたものであるから、被告人が昭和四一年度販売の牧野および向日町の土地につき不当な評価増を行って、その売買益を三、九四九万三、五八八円も不当に減少させていた旨の検察官の主張は誤まりである。これらの土地は全て借入金により購入等されたものであり、昭和三九、四〇年当時の借入金の平均利率を用いて算出すればうち二、二八六万三、五一一円は購入、造成等のための借入金利息と考えられ、過大な評価増は一、六六三万〇、〇七七円にすぎない旨主張している。

たな卸資産取得のために要した借入金の利子をたな卸資産の取得価格に算入することの当否については、本件当時と現在とで税務実務上の取扱いの原則に差異があるのであるが(昭和三五年直所一-一一の通達によれば、不算入が原則であったが、その後の所得税基本通達四七-二一によれば、算入が原則と改正された。)、土地の購入、造成、販売等のみを事業とする者の場合等を考えれば明らかなように算入の原則には合理的理由があるし、本件当時の通達においても不算入が原則とされていたにすぎないのであるから、少くとも被告人が本件当時に真実借入金利息分を損金とせずに原価に算入する取扱いを行っていたのであればこれを不適当なものとして否定すべき理由がなく、弁護人の主張はこの限りにおいて正当である。しかしながら、被告人が真実そのような取扱いを行っていたものかどうかについては、証人水野および被告人がその旨を公判段階で供述するのみであってこれを裏付ける具体的資料が何ら提出されないうえ、被告人らの右供述は、関係証拠により認められる(イ)被告人は、帳簿上、多くの造成地のうち特定の土地に評価増を行って決算期に計上し、次の年度にはこれを他の特定土地の建設仮勘定に振替えてさらに評価増を計上しているのであって、特定の土地につきこれに関する借入金利息のみを一貫して計上するという形をとっていない事実、(ロ)銀行借入金の利息については別途支払利息として取扱われており、しかもその中には架空の支払利息までが計上されている事実等に照らし措信できないところである。被告人が行った土地評価増は、要するに将来の利益を減殺するとともに年間所得を五〇〇万円程度に計上するという目的で、架空支払利息等との関係から所得計算上の操作としてなされたものと考えるのが相当である。

と判示して、弁護人の主張全部を排斥した。

しかしながら、被告人は、昭和三八年から宅地の買付、造成に着手したもので、この種業態の事業の性質上、販売が軌道に乗るまでは欠損の連続となることが当然であり、これをそのまま決算書に計上すると、銀行からの資金借入が困難になることを慮り、五〇〇万円程度の所得が生ずるよう借入金利息を考慮して土地価格の評価増を計上して適宜調節し、次のような所得申告を行なっていたのである。

昭和三八年度 五、〇〇〇、〇〇〇円

昭和三九年度 六、一四二、四三一円

昭和四〇年度 五、〇三五、二四七円

昭和四一年度 五、一五六、三三〇円

もし前記のような評価増を計上していなかったとすれば、昭和四〇年度までは連続して欠損を生じており、前記のような所得申告及び納税は必要がなかったわけである。

被告人は前記のような処理をしていたところ、本件査察により借入金利息は各支払時期における損金に計上すべしとする方針のもとに計算がなされ、評価増をすべて否認されたのである。

その結果、昭和四四年一月一八日、北税務署長より、昭和四〇年分及び昭和四一年分について所得税の更正処分を受けるに至ったが、その内容は次に示すように極めて不自然なものである。即ち

昭和四〇年度

更正前の所得額 五、〇三五、二四七円

更正後の所得額 △五四、三九〇、六八一円

増減差額 △五九、四二五、九二八円

昭和四一年度

更正前の所得額 五、一五六、三三〇円

更正後の所得額 五九、九二六、〇二〇円

増減差額 五四、七六九、六九〇円

右のように昭和四〇年度には、五四、三九〇、六八一円の赤字と認定し、昭和四一年度には、五九、九二六、〇二〇円の黒字と認定するような内容の更正決定こそは、事業の健全性存続性を破壊する無理な税務処理といわねばならない。

そして右の更正は四〇年度のみが赤字で更正され、三八年度三九年度は更正されなかった。

被告人が借入金利息を正確に算出して、これをそのまま土地の原価に算入せず、これを考量しての土地評価増(実質は原価算入)を行なったからといって、直ちにこれを全面的に否定した原判決の認定は、原価に関する法令の解釈を誤り、ひいては事実を誤認したものである。かりに原判決どおりとしても、商品売買益については犯意を欠くものである。

而して弁護人は、原審証人水野隆晴の第一八回公判における供述、総勘定元帳二冊(昭和四五年押第四五七号の二〇及び二一)、不動産元帳(符一八の二、二〇、二一)により、検察官の主張による評価増三九、四九三、五八八円に対し、一、六三〇、〇七七円を正当と主張するものである。

二、手形割引収入について

原判決は受入利息のうち手形割引収入について

手形割引料収入に関しては、関係帳簿等の不備、毀棄、相手方所在不明等のため正確な割引日、割引料の確認のできなかった部分が多かったところ、検察官はこれについて確認された振出日をもって即割引日とし支払日までの(両日とも算入)実日数をもって割引日数として割引料収入を算出したことが認められる。

(証人菊池和夫の供述、検察官の冒頭陳述書添付別紙3「手形割引料収入明細表」参照)

しかしながら、証人三浦、同太田の各供述等を綜合すると、(イ)手形は必ずしも振出日に割引かれた訳ではなく、振出日即日(あるいは二、三日後)までに割引かれたものが全体の七〇パーセントないし九十パーセントであり、その余の三〇パーセントないし一〇パーセントは一週間あるいは一〇日、最大限一箇月後に割引かれていたこと、(ロ)振出日(あるいはその二、三日後)に割引かれた場合にも、その割引日数は必ずしも実日数と一致せず、例えば支払期間四ケ月の手形では一二〇日、三ケ月と一〇日の手形では一〇〇日、を超えることがなかったこと、がそれぞれうかがえるのである(なお、振出日から相当経過した後に割引かれた場合が多く、平均すれば支払期間の三分の一経過後に割引かれたといえる、とか、割引料は検察官主張のそれより一〇〇万円ないし二〇〇万円少いと思う旨の証人水野や被告人の供述は、具体性にかけ、かつ誇張にすぎるものとして措信できない。)

そうであれば、前記明細表の昭和四一年分のうち、相手方の資料と照合して割引料が確認できた三洋ハウス研究所、永和水機、安藤水道関係についてはそのままこれを認定すべきであるが、(証拠によれば、その合計は六二万九、九六四円である。)、その余の分については、右(イ)(ロ)の二点を考慮して割引料を推認しなおす必要があり、その場合には右の限度で被告人に有利な方法をとるほかないと考える。

そこで、(a)まず(ロ)の欠点を修正するために、全ての手形が振出日の三日後に割引かれたものとした場合の割引料を計算し(三洋ハウス関係永和水機関係あるいは昭和四〇年度の昭津起毛関係等の場合につき検討してみると、振出日即割引日の場合でも割引日と支払日の両日を算入したときと一方のみ算入したときがあったものと認められるので、この点は昭和四一年度分の算出につき最も被告人に有利な形で割引日又は支払日の一方のみを算入することとし、暦の実日数によらず、一ケ月を三〇日として計算する。その合計は三三五万〇、九五四円である。)、(b)次に、(イ)の欠点を修正するため、全ての手形が振出日の一月後に割引かれたものとした場合の割引料を計算したうえ(その合計は二三四万六、二三四円である。)、三日後割引分と一ケ月後割引分とが七〇パーセントと三〇パーセントの割合で存在したものとして、割引料を推認し、(三〇四万九、五三八円となる。)、これに前記三洋ハウス研究所等からの割引料六二万九、九六四円を加えて、結論として昭和四一年分の割引料収入を三六七万九、五〇二円と認めることとする。

と判示し、弁護人の主張額一五〇万円のうち五〇万四、八五九円だけを認めた。

手形割引収入については、原判決のいうように、三洋ハウス研究所、永和水機、安藤水道の合計六二万九、九六四円以外はこれを確定する資料がないので、推定計算によらなければならないのは当然である。

そして、原判決は推定計算の根拠として、証人三浦徳太郎、同太田忠義の各供述を以てし、証人水野隆晴や被告人の供述は具体性に欠け、かつ誇張にすぎるものとして措信できないとしている。

ところが原判決の頼っている証人のうち太田忠義の証言は、その内容自体からあいまいさと記憶の不正確さがうかがわれ、刑事事件における推定計算の根拠としては、採用すべからざるものである。

また原判決が、日数の推定計算の根拠の一つに掲げている株式会社三洋ハウス研究所分は、被告人から支払のため振出交付されたものでない点において他と全く異っており、日数の推定計算の根拠とはなり得ないものである。

検察官の冒頭陳述書添付資料別紙3は、株式会社三洋ハウス研究所、永和水機株式会社及び安藤水道を除いては、割引日、割引日歩、日数、割引料に関する限り、査察官の推測に基いて作成されたもので、僅かに三浦徳太郎、太田忠義の記憶を参考としたに過ぎない。

日設興業株式会社、滝組、来代工務店、杉本建設に至っては査察官が、手形金額、振出日、満期日だけを根拠に、他の事項を推測記入したものである。

このことは、太田工務店分の昭和四一年一一月九日振出、金額三一一、七四〇円の手形(満期日昭和四二年三月九日)の日数が一二一日と記載されているのであるから、他の例に従って割引日歩は七銭である筈であるのに、何ら特別の根拠もないのに一〇銭として計算されていることによっても明らかであり、これを推定計算の根拠とした原判決は、結局において計算を誤り、事実を誤認しているわけである。

そうすると、本件の推定計算においては、証人水野隆晴及び被告人の供述が具体性に欠け、誇張にすぎるとして排斥することはできず、いずれも経験に基づく供述であって、証人三浦徳太郎の供述と同等の価値があるのであるから、これらの綜合の上にたって推定計算がなされなければならない。

三、営業経費について

原判決は、営業経費(本店分)について

本店(奥二一)の営業経費について、検察官は、月一〇〇万円、年間一、二〇〇万円を算出認定しているところ、右は本店関係の決算報告書(昭和四一年一一月分、同四二年一月ないし五月分、符号一一ないし一三および四〇)に基き、そのうち異常に多い昭和四二年三月分を除くその余の月の分の平均が一〇〇万円弱であったことなどから推認されたものと認められ、水野や被告人も捜査段階ではこれを認め、右三月分が多額であったのはボーリング場関係の交際費等特殊な支出によるものであり、右決算報告書は正確に記載され、他に簿外の交際費等はない旨供述している。

しかしながら証人水野や被告人の供述を待つまでもなく被告人が従業員に対し年四回(三、六、九、一二の各月)の賞与を支給していたことは関係証拠により明らかであり裏給与に対応する裏賞与を支給していたこともあるていどうかがえるところであって、右四二年三月分が多額であった理由の一つがこの点にあったこと、それ故同月分のみならず、同四一年一二月分その他資料の存しない賞与月においても他の月に比し相当多額の賞与等支出があったのではないか、との疑問が存するのである(このことは、被告人の検察官に対する供述調書-昭和四三年七月一二日付、五項までのもの-によっても、ボーリング場関係交際費は関する供述が非常に抽象的であることからもうかがえる)。

そこで、右昭和四二年三月分の経費中どの位がボーリング場関係交際費等同月に特殊なもので、どの位が裏賞与等賞与月に共通のものかを決定したうえこれを考慮した平均月間経費、年間経費を推認すべきものと考えるが、この点については明確な資料が存在しないので、証人水野の供述により裏賞与分すなわち賞与月に共通する他の月より多い経費を一〇〇万円と認め、これを考慮して、年間の経費を検察官主張の一、二〇〇万円より四〇〇万円多い一、六〇〇万円(一月平均一三三、三万円ということになる。)と推認することとする(弁護人は、昭和四二年三月分の経費のうち他の月より多い分は全て裏賞与等他の賞与月に共通のものであるとし、それ故一ケ月平均の経費は一五〇万円であると主張するのであるが、被告人が捜査段階でボーリング関係交際費をあげたことが全く根拠のない虚偽のものであったとは考えられないから、右主張を全面的に採用することはできない。又、弁護人は、被告人の供述により、仲介料支払五〇万円、旅費一二〇万円、簿外交際費三六〇万円、合計五三〇万円の経費が認容されるべきであるとするが、そのような事項に支出があったことは事実としてもその数額については極めて根拠に乏しく、全面的には採用できない。)。

と判示している。

1 右のうち本店月次決算報告書による営業経費一ケ月平均一五〇万円という弁護人の主張は、原審における弁論要旨一の4に詳述しているところであって、昭和四一年一一月末、昭和四二年一月末ないし五月末の各決算報告書によって明らかに推認できるところである。

原判決は、被告人の昭和四三年七月一二日付検面調書によってもボーリング関係交際費に関する供述が非常に抽象的であるとして、賞与月である昭和四二年三月末の二、八一五、五八四円の中に裏賞与の包含を認めながらも、ボーリング関係交際費等同月に特殊なものが若干加わっているとして、弁護人の年間一、八〇〇万円の主張を二〇〇万円削減した一、六〇〇万円を認定した。

そして被告人が捜査段階で供述したボーリング関係交際費は全く虚偽とは考えられないとしている。

しかしながらボーリング関係交際費は、公表上から支出していて、前記月次決算報告書の分からの支出は全くないのである。かりに原判決のいうようにそのような支出があったとすれば、ボーリング関係の事業を始めた昭和四二年における非賞与月の

一月末 八七六、二〇一円

二月末 七八六、七六〇円

四月末 九〇八、三二二円

五月末 八二六、五四八円

が、未だボーリング関係の事業をしていなかった昭和四一年における非賞与月の

一一月末 一、〇四八、〇二一円

よりもいずれも少額であるという事実を、合理的に説明できないのである。

むしろ、弁護人の主張する月額一五〇万円が、最も証拠にも実体にも合致するものと確信するところであり、原判決はこの点において事実を誤認している。

2 次に原判決は

(一)不動産金融に対する支払仲介料 五〇万円

(二)不動産金融に関する必要経費 一二〇万円

(三)被告人の簿外交際費 三六〇万円

合計 五三〇万円

について、そのような事項に支出があったことは事実としても、その数額については極めて根拠に乏しく、全面的には採用できないとしている。

しかしこれらについては、被告人の供述のみならず、証人水野隆晴も若干これを裏付ける供述をしていて、全面的にこれを否定した原判決は明らかに事実を誤認している。

四、経費について

原判決は経費(固定資産税)について

被告人が納付義務を負う昭和四一年度の固定資産税が査察当時納付されていたと否とを問わず経費として考慮されるべきことは弁護人主張のとおりであり、その数額が二五万四、一七〇円であることは関係市町村等からの固定資産税額に関する回答書等(検察官の冒頭陳述書添付別紙13のうち固定資産税関係参照。)により認められるところである。

と判示している。

しかしながら、検察官の冒頭陳述書添付別紙13のうち、固定資産税関係によれば、昭和四一年度の固定資産税の合計は、次表のとおり二六七、七二〇円であって、右合計額から、検察官が損金と認めた既納付分七、四四〇円を差引くと、二六〇、二八〇円となるので、原判決の二五四、一七〇円は誤っている。

〈省略〉

〈省略〉

五、減価償却について

原判決は減価償却のうち豚舎等について

河内長野市高向に存する豚舎とその養豚経営について、弁護人は、中川金次を使用人として被告人自らが経営していた事業であるから、そのための資産である豚舎およびその設備につき昭和四一年分の減価償却がなさるべきである旨主張する。

被告人は、この点につき捜査段階において、二一部門に中川勘定を起し、右豚舎とその設備のための資金およびその運営資金を中川に貸付けて日歩一〇銭の利息をとっていた、他に豚売上の五パーセントを収入として計上し資産の償却にあてる形をとった旨供述しているのであって、その供述内容自体やや特異であり、しかも当時すでに相手方である中川金次の所在が不明であったことを考えると、右供述が捜査官の予断等により押しつけられたものと疑うべき理由もないから、これらにより養豚業の主体を中川と解することもさして不自然とはいえないのであるが、さらに右捜査段階の供述を検討すると、被告人が営業主体であり、広告募集で雇い入れた中川に対しては営業成績向上のため、定額給制をとらずに歩合給制をとるとともに、同人との間に資金貸付、利息納入の形態をとったものと解する余地が相当にあるうえ、当時捜査当局に対しては養豚業関係の売上、利益等が適確に把握されていなかったことから(現段階ではなおさらその把握は困難である。)、被告人はその点に関する追及をさけるため、養豚業の主体、経営実体につきあいまいな供述をしたのではないかとの疑問も生じるのである。そして被告人の当公判廷における供述と関係証拠(とくに符号一五の三、五の手帳、四〇の四一年一一月末決算報告書等)の豚舎関係記載部分を併せ考えると、養豚業の主体は被告人であったと解すべき相当の理由があり、しかも、本件では被告人所有の豚舎等に関して中川からの利息収入一〇〇万円を計上認定しているのであるから、右養豚関係の豚舎付属設備等資産につき減価償却を行う必要があるというべきである。

そこでその取得価格につき検討してみると、これについては直接適確な資料が存在しないのであるが、(イ)弁護人主張の二、一五五万円は、要するにスケッチ程度の図面と水野の説明に従って復元してみればそうなるというにすぎず、建築士脇田が誠実に復元見積ったことは間違いないとしても特段の資料を示さずになされたという水野の説明そのものは容易に措信することができないし(被告人らにおいて昭和四〇年に建設されたという豚舎等につき、その当時の資料が、部分的にせよ、被告人らの保存分としても相手業者からの取寄分としても全く提出されないこと、そしてそれにつき何らの説明がなされないことはまことに不可解である。)、二、〇〇〇万円位であった旨の証人水野や被告人の供述も措信できないから、結局採用することができず、他方、(ロ)押収してある前記手帳(符号一五の五)には「豚舎勘定四〇年一二月一九日現在二九四万四、六三五円」、(四一年)「一月六日防寒設備二五万円」等の記載が、昭和四一年一一月末決算報告書(符号四〇)の二一部門固定資産中には「河内長野豚舎三一四万六、九二九円」の記載が、さらに四二年一月末、二月末、三月末、四月末、五月末、の各決算報告書の二一部門(符号一一、一二の六、一三の二、一三の三)固定資産中にも「河内長野豚舎」として「三〇七万九、一七三円」、「三〇二万四、三九一円」等三〇〇万円前後の金額の記載が存在するのであって、これらは前記手帳の養豚豚舎に関する他の記載部分や符号一五の三の手帳の関係記載部分(中には四〇年における豚舎工事代金の支払等の金額と解される記載も存在する。)等に照らすと、各時点における豚舎等の評価額を示すものと認められるから(被告人らは、右と同旨の理解をなした証人河上の供述について、何ら明快な反対証拠を提出していない。わずかに弁護人が水野の検面調書の証拠能力に関する意見陳述に際し三一四万六、九二九円という金額は什器備品の評価額である旨主張しているが、そのような解釈は極めて不自然というべきであろう。)、四〇年一二月以前の償却分等若干の誤差を考慮してもその評価額が四〇〇万円を超えることはなかったと認めるのが相当である。

減価償却に当って定額法によるべきことは前記6のとおりであり、その耐用年数を一五年として(豚舎、附属設備等の構造等が不明であるが、減価償却資産の耐用年数等に関する省令別表第一が定める関係部分、例えば建物の附属設備中給排水等設備、一般電気設備がいずれも一五年であること、木造等の建物中一般工場用が一六年、木骨モルタル造建物中魚市場と畜場等用が一六年、同一般工場用が一五年であること、構築物中コンクリート造の飼育場等が一五年であることなどと、被告人の主張においても豚舎につき二〇年、電気、排水設備につき一五年としていることから決定したものである。)昭和四一年度の減価償却費を二三万七、六〇〇円(四〇〇万円の一〇〇分の九〇に〇・〇六六を乗じたもの)を算出することとする。

と判示している。

原判決が河内長野市における豚舎に関し減価償却をなすべしと判断をしたことは正当であるが、その取得価格について弁護人の主張を排斥している点は明らかに事実誤認である。原審における証人河上他代は、所得税における減価償却はこれを強制的に行なうようなっていること、現地へ行った査察官から豚舎の規模について報告を受けたことを供述しながら、その内容について供述することができず、査察段階においてこの減価償却は全くとりあげられていないのである。

原判決は、弁護人の主張は、要するにスケッチ程度の図面と水野の説明に従って復元してみればそうなるというにすぎず、建築士脇田が誠実に復元見積ったことは間違いないとしても、特段の資料を示さずになされたという水野の説明そのものは容易に措信することができないし(被告人らにおいて昭和四〇年に建設されたという豚舎等につき、その当時の資料が部分的にせよ、被告人らの保存分としても、相手業者からの取寄分としても、全く提出されないこと、そしてそれにつき何らの説明がなされないことはまことに不可解である)。二、〇〇〇万円位であった旨の証人水野や被告人の供述も措信できないというが、これは全く訴訟の経過を無視し、立証責任を取り違えた考え方である。

証人脇田俊幸は、昭和四七年七月一四日付で弁護人が作成した証拠調請求書記載の証拠物・日商養豚場建築図面四葉(養豚場建築計画当時作成したもの)を資料として、現地に赴き水野隆晴の説明を聞き、日商養豚場、豚房、飼料処理場、宿舎新築工事見積調書及び豚舎設計復元図を作成していたものであって、右見積調書と復元図は、原審第二〇回公判において検察官の同意の上、取調済であり、弁護人はその際、前記証拠物たる建築図面四葉の作成者について釈明を求められ、これを明らかにできなかったが、既に同意取調済の前記見積調書及び復元図によってその目的を達したので、重複を避けるため、右証拠物の取調請求を撤回し、工事関係者の証人申請も差控えた次第である。

従って弁護人としては、取得価格については、むしろ検察官の方で現場を見たという査察官を証人に立て、前記復元図に対する反証を試みるべきであり、当時審理にあたられた裁判官としては何ら疑問を抱いておられるとは思わなかったのである。

もし、弁護人の立証について疑念があるならば、所得税法における減価償却が強制的なものである以上、原審は職権をもって弁護人の立証を補充させるなり、検察官の反証を促すなりすべきであるのに、それをしないで、判決裁判官が突如前記のように結論したのは、立証責任の解釈を誤り、審理不尽によって、事実を誤認したものである。

原判決が認定した償却前評価額四〇〇万円は、六~七百頭を飼育していた豚舎の規模からみても、明らかに常識に反している。

なお、弁護人は、原審において主張した償却前価格二、一五五万円を正当とし、償却方法が誤っていたので、定率法を定額法に改め、次のとおり減価償却額一、三五二、〇〇〇円が相当であると考える。

〈省略〉

第二点、原判決は刑の量定が著しく重く不当である。

原判決は、犯則所得額四六、八七八、八七〇円(逋脱税額二八、九四一、〇〇〇円)なる公訴事実に対し、犯則所得額四一、六三一、五八一円(逋脱税額二五、二七四、一〇〇円)なる事実を認定した上、本件犯行の動機・態様・結果・被告人の経歴・犯行後の事情・捜作の経緯その他を考慮すると罰金刑のみによることは極めて不相当となし、被告人を懲役七月(執行猶予二年)及び罰金六五〇万円に処したが、右の量刑は著しく重く不当である。

一、本件犯行の動機・態様・結果について

本件犯行の動機は、被告人が査察官の質問に対し、「利益をそのまま申告したら、七割位まで税金に持って行かれるので、それでは内部留保ができず、我々一匹侍の個人商店では援助者もないし、自己の力以外たよることはできませんので、なんとか自分の力をつけたいとの一心で、毎年の所得税確定申告をごまかして資本蓄積を図ったのであります」と答えているように、所得を遊興等無為に費消してしまうというのではなく、事業の発展と、不況時に備えて資本を蓄積することにあったのである。

逋脱の態様においては、他の同種事件に比べて稍々計画性を帯びていることは事実である。しかし、被告人の事業が主として宅地の取引であり、売買に際して取引の相手方から圧縮記帳を要求されたり、取引仲介者により課税対象とならないいわゆる手数料の支払を要求されたりすることが多く、事業経営者の弱味から已むなくこれに応じなければならないことは、この種業態の特質といわねばならない。

また、前記第一点の一掲記のごとく、事業開始後、販売に到達する数年の間は赤字の累積が通例であるが、これを表面に出すときは信用を失い、銀行よりの融資が得られないという点においてもこの種業態の特質が存在する。

そして、これらの困難を克服して、事業を軌道に乗せて行くためには、他から援助を得られない個人企業として、計画性を帯びた脱税手段をとるに至ったものと考えられるのである。

被告人が、宅地事業開始の初期の赤字の段階においても、年々約五〇〇万円の所得申告をしていたことは、起訴対象年度のみをみつめないで視野を拡げて観察してやるべき事象である。

本件は他の同種事案と異り、単に一年分のみが起訴されており、しかも第一点の一掲記のごとく、更正決定によれば前年にあたる昭和四〇年度は、五四、三九〇、六八一円という厖大な赤字であり、本年度の黒字は原判決どおりとしても四七、七一〇、三六七円であるから、前年度の赤字を埋めつくせない状況である。

被告人は白色申告のため、昭和四〇年度において、五〇〇万円を超える黒字の申告をしているが、これが五、四〇〇万円を超える赤字に更正されても、納付した限度において税の還付を受けるだけであって、本件起訴対象年度における黒字をもって、前年度における赤字と損益通算の取扱がなされないわけであり、この点において、納税上著しい不利益を蒙っているわけである。

原判決が、悪質な情状の一として本件犯行の結果を掲げられているのは、この点における理解に欠けているためと考える。

しかも、本件における逋脱税額は、原判決どおりとしても二五、二七四、一〇〇円であって、原判決以後にあたる昭和四九年六月二五日、京都地方裁判所において、判決宣告のあった被告人・加藤博俊に対する所得税法違反被告事件では、逋脱税額が本件よりも多い三三、七六九、七〇〇円である事案に対し、同被告人が宅地建物取引業を営む法人の代表者であることなどを考慮して、罰金刑のみを選択して、罰金一、二〇〇万円に処していることに比べて、原判決の量刑は苛酷といわねばならない。

二、被告人の経歴・犯行後の事情・捜査の経緯について

被告人は、神戸市立神港商業学校卒業後、太平洋海上火災保険会社に勤務し、第二次世界大戦中、軍役に服し、終戦時には陸軍少尉の階級にあったもので、復員後は終戦後の混乱期を乗り越え、電話担保の貸金、不動産担保の貸金、宅地開発、ボーリング場経営等、次から次へと積極的に事業に取組んで来たのである。

この間常に事業経営に専念し、怠惰・浪費などは一切なく堅実に成功をおさめているのであって、昭和四二年三月には、日商土地開発株式会社を設立してその代表取締役となった。

本件犯行後は、起訴対象の昭和四一年分の更正が、あまりにも負担過重であったに拘らず、決定どおりの国税、地方税を完納し、さらに元大阪国税局徴収部長・小林次男税理士らの指導のもとにいわゆるガラス張りの経理を行い、毎年多額の納税を続けている。

また本件の調査及び捜査の過程において、被告人の関係者がこれに非協力的であった事情は存するが、原審証人・河上他代の供述は、多少誇張されている点があり、同人が査察官として調査中、関係者に被告人の事業を潰してしまうくらいわけはないと脅しつけたりしたことから、関係者が敵意を持つようになった経緯も存在する。

税法実務家である同人が、河内長野の豚舎の減価償却を強制的であるに拘らず、計算から外している点は、過失として通らないところであり、この点からも同人の調査に対する非協力に関する証言は個人的感情が混入していて全面的には信用できない。

三、以上原判決が、被告人の量刑について罰金刑のみによることは極めて不相当とされる要因について述べたが、いずれにおいても原判決の判断は首肯することができない。

加うるに被告人には、原判決宣告後次のような量刑上特に考慮さるべき事態が発生した。

被告人が代表取締役をしている日商土地開発株式会社は、宅地造成分譲、ボーリング場賃貸等を目的とする資本金五億円の法人であって、近畿・中部・中国・四国・九州に合計二四ケ所のボーリング場を所有していたところ、ボーリングの不振により欠損が続き、五〇億円の負債が生じたので去る六月末をもって全部を閉鎖し、そのうち一〇ケ所を売却し、七ケ所をパチンコ遊技場に切替え、他は欠損穴埋めのための売却を対策中である。

そして、今後は主力を宅地造成分譲に移し、(昭和四九年二月二八日現在の商品たる不動産の帳簿価格は二九億七、四八八万一、三三八円)会社を倒産から救い、従業員及びその家族の生活を護らなければならなくなった。

ところが、もし被告人が原判決のように、自由刑に処せられたときは、たとえ刑の執行を猶予されたとしても、会社の宅地建物取引業の免許が取り消されることになり、また被告人を除いては会社を存続させるだけの外部的信用と能力とを有する者が会社にはいないから、結局において、前記負債の消滅を図り会社を倒産から救うことは全く不可能に陥るわけである。

被告人に対して自由刑を科することは、他の事犯と異り、多人数の生活に脅威を与えてめて苛酷な結果を導くものであるから、かりに原判決の罰金刑の額よりも多額に変更されることがあっても、自由刑だけは外してやって頂くことが会社の従業員ならびにその家族を救って頂くことになり、本件においてそのような温情ある処置をとられたとしても決して他の同種事犯と権衡を失するものではなく、むしろ刑政の目的に合致するものと確信する次第である。

以上の各理由により、原判決を破棄し、さらに相当の裁判を仰ぎたく、本件控訴に及びました。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例